インドネシア現地採用ブログ

トータル5年目のインドネシア生活。三十路サラリーマンとしてインドネシア生活、海外就職、キャリアに関して書いていきます。

チカラン生活

チカランの生活に関して書いてみたい。

2015年に1年ほど、チカランオフィスを立ち上げるということでがっつりチカランに住んでいた。3年前なので、25歳前後か。意外とこれくらいの年齢での体験談てあまりなくてどちらかというと割と年配のかたの話とかが多かったりする。(年配は失礼か、30歳後半から40歳前半位か)なかなか20代での話を書いているのはないので、少しでもチカランで生活をチャレンジをしようとする誰かに参考になるといいな。

住んでいたのはここ。当時だと、月5.000.000IDR(日本円だと4万5千円くらい)のKost(コス)だった。中はベット、クローゼット、温水シャワー、トイレ、机、椅子だった記憶で、インターネットもあったし、洗濯と部屋の掃除も上の金額に含んでいた。

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当時は仕事が忙しすぎてかつ今よりもっと仕事ができなかったので、全く余裕がなく、毎日この家からオフィスまでドライバーに連れいってもらい、仕事をして、22時位に家に帰って、また仕事をして1時位に寝るというような生活を毎日していた。

また、今はLippo cikaran Citywalkの近くにアパートがあったりするが、当時は本当に建設中で、ちょうどAxiaができたばかりくらいのようなところだった気がしている。

Fish manもチカラン自分が来たときにはまだできていなかった気がする。ましてやまぐろ亭なんてなかった、毎日本当に何を食べていたのか思い出したくないほど、本当に同じものを毎日食べていた。インドネシア料理だけど、チャイニーズ系の、中華料理とインドネシア料理の間のようなものを食べていた気がしている。唯一の毎日の楽しみは、スタバでコーヒーを買って飲むことだった気がする。結構本当に仕事しかしていないし、生活も乱れまくった時代だった。

買い物に行くにも結構大変だった記憶がある、住んでいたDagoからの交通手段がなくて本当に大変だった。土日は会社のドライバーを使うことができなかったので歩いていくか、アンコット(乗り合いのバスのようなもの)に乗ってスーパーまで買い物をしていた。今考えると結構やばい生活だと思う。土日も、土曜日はオフィスで仕事をして、日曜は何もする気がなくなり、仕事を少しするか、ぼーっとタバコを吸うか、寝るかの生活だった気がする。

 

今もたまに、本当に月に1度あるかないかの頻度でチカランに行く機会があったりするが、本当にここで生活をしていたんだというのを思う。もう一度生活をしては結構きついなと思ったりする。

マイナスな話が続いてしまったが、、今は自分が生活をしていた当時に比べて大分チカランも都会になってきていると思う。

Grabでも車が捕まえられるはずだし、日本食のおいしいレストランがたくさんできているし、なんせ日本人学校がデルタマスにできるのでより一層日本人がこのエリアに増えていくのはかなりのGoodなポイントだと思う。

1年過ごしたチカラン生活で、プライベートでチカランを出たのは本当に数えるほどしかなかった気がする。それくらい仕事に追われていたし、それくらいその当時はある意味仕事しかやることがなかったし、結果的にそれが今に繋がっているので、本当に当時のチカラン生活はある意味成功したのかもしれない。

ほとんど生活の話がなく、あれだが、終わり。